ジャックと豆の記

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早産と罪悪感

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 育児に罪悪感を感じる

 早いもので、息子氏が生まれて一年半以上が過ぎた。35週1日という早産で生まれた息子氏だったが、幸いにしてほとんど病気もせず、順調に成長している。なかなか歩かず、やきもきした時期もあったものの、ある日突然歩き出して以来、今や家の中を我が物顔で闊歩するようになった。

 

 鬼門と言われる(ネットの中だけ?)1歳半検診も問題なく通過することができ、まずは一安心と言ったところである。

 

 だが、育児をする上で、罪悪感が拭い去れたことはない。息子氏が生まれてから今日到るまで、1日も休まず罪悪感を感じ続けている。

 

罪悪感の原因

 罪悪感の最大の原因は、「息子氏を早産してしまったこと」。これに尽きる。

 特に私の場合、34週まで何の不調もなかったのに、35週になって突然陣痛が始まってしまい出産に至ってしまった。全く心の準備ができないまま、ジェットコースターのようにお産が始まって、終わってしまった。今までずっと一緒にいたのに、突然お腹の中から去っていった我が子。生まれて、泣いた、次の瞬間には保育器に入れられてしまった我が子。人生で一番大きな衝撃だった。

 

 仮に、妊娠中に切迫早産の兆候が見られたり、妊娠高血圧のような症状があるとわかっていればもう少し心の準備ができたのだが(自分の性格上、もしそうだったとしてもクヨクヨしそうだが)、まるで兆候がないままに、あっという間に出産してしまった。

 

 出産してから、息子氏はNICUで看護され、私は一人でベッドに寝る日々。息子氏に申し訳なくて、毎日泣いた。

 

 飛行機の距離にある実家へ里帰りしなければよかった?

 産後に子育てするためと、実家の掃除を頑張ったのがよくなかった?

 キ●ガイの実父を恐れて、体を動かし過ぎなければよかった?

 

 私の軽率な行動のせいで、取り返しのつかない事態を招いた。あろうことか、誰よりも愛している我が子に災難が降りかかった。この後悔は大きかった。

 

障害の恐怖

 早産児には、糖尿病にかかりやすいなどのリスクが正産期の子供に比べて高い、というエビデンスがある。息子氏が生まれた時は35週だったので、重要な臓器は全て出来上がっていたが、体はか細かった。

 自分が早産したせいで、息子氏に悪い影響を与え過ぎてしまったのではないか。今は無事でも後々障害が出てきたら?不安と恐怖は尽きなかった。

 

病院のケアは万全だった

 私たちが入院した病院は、市で最も大きな病院だった。その分、周産期医療に関する知識の蓄積も多かったらしく、私のような早産児を産んだ母親に対するケアは万全だった。

 例えば、授乳について。正産期分娩をした人と我々早産した人たちは、一つの授乳室を区切って、他の赤ちゃんを見えないようにしてくれていた。たまたま、私が出産した時は同時期に早産した人が多く、疎外感を感じることはなかったが、やはり他の母子が当たり前に一緒にいる姿を見るのは辛かった。

 特に感慨深かったのは、退院を前に行われた看護師との面接。主に出産に関するネガティブな感想を、看護師さんが心を込めて聞いてくれた。緊急搬送で入院した際に、メインで担当してくれた看護師さんが、誠実な様子で出産と育児に関する不安を聞いてくれる様は、それだけで大きな癒しにつながったように思う。

 また、退院して後もシナジス注射のために訪れた病院で、医療関係者が温かく迎えてくださったことも素晴らしい経験であった。このように、私は早産という災難に見舞われた母親としては、かなり恵まれた部類に入る。

 

 しかし、それでも罪悪感は拭いきれなかった。

 

谷の深さを知ってしまったこと

 少し話は変わるが、心理学者の河合隼雄は、思春期についてこんな意見を述べている。

 

(思春期とは)誰しも深い谷を渡っていく危険な時であるが

多くの人は 霧がかかっていて谷の深さに気付かないために 難なく吊り橋を渡りきることができる。

 

たまたま谷の深さを知ってしまった人にとっては 思春期を通り抜けることは非常に困難な仕事なのだ 

 

  周産期についても同じことが言える。早産、NICU入院という出来事は、 深い谷を覗き込む体験である。

 

 多くの人が難なく渡っているように見える橋。実は千尋の谷にかかっている吊り橋であり、落ちていった人も数多くいる。橋から落ちた人に何の落ち度も無いように、自分も現代医療の力でたまたま橋を渡りきったに過ぎないのだ。

 

現実を見るということ

 運の良いことに、今のところ息子氏は身体的にも精神的にも健康である。一番恐れていた、発達障害的な傾向も現時点では見られない。(これは発達障害に対する偏見ではなく、自分のせいで子供に障害を負わせてしまったのではないか、という妄想なので悪しからず) 

 夜はよく寝て、目を合わせてくれるし、ちょこちょこ単語も喋る。児童館で他の子と関わり合いもある。専門家ではないから細かいことはわからないけれど、一歳半検診でも指摘がなかったことから、まずまず育児はできている、と考えて良いのだろう。

 

 これらのことが当たり前ではなく、単に運が良かっただけに過ぎないことを私は「知ってしまった」。もう、知る前には戻れない。しかし、日頃忙しく育児をやり過ごしていると、早産という事実を忘れてしまっている自分に気づく。そう、たとえ早産していようがいなかろうが、子供は今を生きていて、成長し続けているのだ。

 

 妊娠にも出産にも育児にも、「ゼロリスク」で臨みたかった。それは叶わなかった。でも、現実に私は出産して、息子という掛け替えのない尊い存在を授かることができたのだ。これ以上の幸福があるだろうか。

 

 これからも、自分は育児に対して罪悪感を感じ続けるだろう。今だってほぼワンオペで、初めての育児で、不安を感じない日はない。疲れた心を罪悪感はさらに苛むものだ。

 だが、そもそも出産も育児も千尋の谷を綱渡りするような出来事であり、これほどの大業を前にすれば、罪悪感も不安も感じて当たり前のものなのだ。そう考えることができるようになった。

 

 早産してしまったのは運命、そういう考え方もできる。出産をやり直すことはできないが、最大限育児に邁進して(多くの人やサービスの手を借りて)、子供の最大の幸福を追求することが、運命の範囲内で人間のなすべきことであると私は思う。

 

【早産した方へ】

 後期早産児(妊娠34週以降37週未満の早産)の母親への心のケアについて、授乳の味方・ピジョンが発行している文献があります。

後期早産児を産んだ心のケア

 

 当事者の心に丁寧に寄り添った、とても励まされる内容です。もし良かったら、ご一読ください。