ジャックと豆の記

妊娠と育児、35週での早産に関する情報など

妊娠と育児に関するブログ

2021年夏休みKPT

 乳幼児が複数居る家庭なんて、毎日が緊急事態宣言下にあるようなものだ。

その上、世界的なコロナ禍で外出もダメな上に、夫が在宅勤務でずっと家にいるなんて。。。!

 これは、コロナ禍二年目の世界を、乳幼児二人の育児をしながら夏休みを乗り切った家族のドキュメントである。

 

Keep(次も続けたいこと)
  • 早寝早起きが出来た →遅くとも7時台に起床、21時台に就寝が達成できた
  • 午前中に散歩で外出 + 午後は児童館で水遊び など家になるべく居ないようにして生活リズムを作れた →「なるべく家に居ないようにする」のが大事
  • お料理体験など、家でできる娯楽を楽しんだ →上の子の料理好きが加速した
  • お取り寄せグルメを楽しんだ →北海道のお菓子詰め合わせと山形の大型スイカを食べた、夏の良い思い出となった
  • 休みの日に夫と妻で子どもを一人ずつ分担して相手ができた →夫が上の子、妻が下の子を担当、大人一人あたり子供一人ならなんとかなる

 

Problem(問題だったこと)
  • 行く場所のマンネリ化 →ずっと近所の公園と児童館のローテーションは大人も子供も飽きる
  • 雨天時、猛暑時の過ごし方のカードが少ない →動画やアプリに頼り過ぎない努力が必要
  • 家族との距離が密になりすぎる →家族内ソーシャルディスタンスも大事
  • 精神的に余裕がなくなり、ついお金を使ってしまう →買い物に頻繁に出たり、出前を頼んだり、冷凍食品に頼ったり、どうしてもお金がかかる

 

Try(次に挑戦したいこと)
  • 幼稚園の夏期保育を利用する →ママ友ネットワークから外れており、夏期保育の制度自体しらなかった。。。
  • 感染リスクの少ない外出を計画する →人が少ないキャンプ場へ行き、家族のみで食事するならば感染リスクは減らせる

anond.hatelabo.jp

 

自分で船を運転して、完全な無人島でキャンプ。憧れる〜

 

番外 妻/母のフィジカルとメンタル
  • 昨年9月に生まれた次男は、未だ睡眠が安定せず。夜に平均2回、多くて4-5回起こされる。長く眠れても睡眠時間は4時間。起きても起きても夜、という状況はたやすく人間の精神を追い詰める。思考力、判断力、その他精神の余裕というものが全て失われている感じ。この生活が一年近く続いた上で、子供がずっと家にいる夏休みはきつい。
  • 上の子は外ではものすごく大人しい。奇声を上げて走り回ることも、おもちゃの取り合いで相手を突き飛ばすこともない。その代わり、家では暴君である。超音波みたいな声で叫ぶ、家中ジャンプしまくる、止めろと言ったことは全部やる。子どもはわかってくれない。わかってはいるのだけれども。
  • それでも、平日は助っ人のおばあちゃんがいて、家事を代行してくれるので本当に助かった。大人の目が多いって素晴らしい。

 

総括

 我が家は30代夫婦に3歳の幼稚園児 + 0歳の乳児、助っ人として60代おばあちゃんの5人家族。このうち、夏休み中にワクチン接種が済んだのはおばあちゃんだけ。両親も9月になってようやくワクチンが打てる目処がついたところという、この状況でコロナに罹ったら一家全滅の未来しか見えない、かなり危機的な状況にあった。

 

 昨年4月の緊急事態宣言以降、外出は極力控えてきたし、外食もほとんどしていない。止むを得ず外で食事をするときは、食べる時のみマスクを外し、食べ終わったらマスクをつけて会話している。外に出るとしたら、子どもと公園に行くか、スーパーに行くかだけ。夫は在宅勤務なのは変わらないし、乳幼児二人を抱えての夏休みは恐怖しかなかった。

 

 幸いにして、この夏はお盆の期間に長雨が降り、涼しい気候だったおかげでショートカットされた感がある。猛暑日も例年よりは少なく、午前中や夕方に限れば、散歩などの外出はしやすい気候であった。

 

 しかし、二年続けて夫の実家への帰省は延期になってしまったし、子どものイベントもずいぶん中止となった。大人にとって、帰省は子どものエネルギーが上手いこと「散る」有難いチャンスである。「帰省」カードが切れず、ずっと家にいて同じ風景の中で過ごすのは精神的に辛かった。

 また、田舎のひいばあちゃんに会えるチャンスも、年少の夕涼み会も、年に一度しか巡ってこない。マスクに外出自粛、感染症対策はつくづく非人道的であると思う。疫病から免れるためには、人流を減らすのが一番とはいえ、子供の機会を奪い続ける自分は、親として正しいのか。自分は罪深いとも感じている。大人にとっての一年と、子どもにとっての一年は重みが全く違うのだ。そのあたりを忘れずに、子どもの時間を奪わないよう、疫病から逃げ続けたい。

 

二人目が生まれた(早産を繰り返した)

 2018年1月に長男を出産した2年後、幸いにして二人目の子供を授かることができた。

 

 懐妊に喜んだのも束の間、世間はコロナ禍の真っ最中。妊娠〜出産まで、いろいろなことがあった。受診していた病院で新型コロナの院内感染が起きてしまい、厳戒態勢で妊婦健診に臨むこととなったり。長男は4月から幼稚園のプレスクールに通う予定であったが、緊急事態宣言の発令によって入園式が2ヶ月遅れになったり。夫の在宅勤務が4月から始まり、夫と未就学児が一日中家にいる中でつわりに苦しむ母、という構図になったり。緊急事態宣言が明けて、幼稚園に通い出した長男の成長が目覚ましかったり。

 

 とりわけ印象深いのは、極限まで気をつけて生活していたにも関わらず、やはり35週で次男を早産してしまったことだ。奇しくも、長男の時と同じように「直前まで何の問題もなかったのに、突然出産に臨む」状況に陥ってしまった。

 

 正直、今回の早産については、落ち込みが酷かった。子供を誰よりも愛しているからこそ、ひとつのリスクも取りたくなかった。確かに、前回の出産の時は里帰り出産のために飛行機に乗ったりして、出産を控えた妊婦としては動きすぎだったかもしれない。しかし、その反省を踏まえて、今回は極力動きすぎないように・栄養に気をつけて過ごしていたにも関わらず、突然破水して出産に至ってしまった。本当に落ち込んだ。

 

 しかし、救急車で運ばれて出産し、二週間NICUでお世話になった長男と比べて、次男はかなり条件が違う。予め設備の整った病院を選んでおき、危ういと思ったら即受診。すぐにNICUへ繋いでもらうことができた上に、最も恐れていた出生体重も、運良く低体重ではなかった。たまたま入院していた赤ちゃんが少なかったこともあり、次男は素晴らしいスタッフから充実したケアを受けることができ、たったの三日でNICUから退院することができた。長男の時はできなかった、カンガルーケアと母子同室も経験することができた。

 

 早産を繰り返してしまったことは悲しいが、長男・次男ともに今まで健康で、発達にも特に遅れが見られないことは重畳と言えるだろう。どんなに悔やんでも、時を巻き戻して出産をやり直すことはできない。そして、やり直す必要もない。全ては、医療スタッフの素晴らしいケアと、子供たちの生命力によって、この上なく上手く進んだのだから。

 

 後悔は尽きないが、後悔に意味はない。子供たちを懸命に育てていると、生き物の生命力の強さに驚かされることばかりだ。そこに、悔恨が入り込む隙はない。

 

 完璧ではないにせよ、私はやるべきことをやった。そしてこれからも、子育てを続けていく。後悔と、意識して決別しようと思う。

早産と罪悪感

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 育児に罪悪感を感じる

 早いもので、息子氏が生まれて一年半以上が過ぎた。35週1日という早産で生まれた息子氏だったが、幸いにしてほとんど病気もせず、順調に成長している。なかなか歩かず、やきもきした時期もあったものの、ある日突然歩き出して以来、今や家の中を我が物顔で闊歩するようになった。

 

 鬼門と言われる(ネットの中だけ?)1歳半検診も問題なく通過することができ、まずは一安心と言ったところである。

 

 だが、育児をする上で、罪悪感が拭い去れたことはない。息子氏が生まれてから今日到るまで、1日も休まず罪悪感を感じ続けている。

 

罪悪感の原因

 罪悪感の最大の原因は、「息子氏を早産してしまったこと」。これに尽きる。

 特に私の場合、34週まで何の不調もなかったのに、35週になって突然陣痛が始まってしまい出産に至ってしまった。全く心の準備ができないまま、ジェットコースターのようにお産が始まって、終わってしまった。今までずっと一緒にいたのに、突然お腹の中から去っていった我が子。生まれて、泣いた、次の瞬間には保育器に入れられてしまった我が子。人生で一番大きな衝撃だった。

 

 仮に、妊娠中に切迫早産の兆候が見られたり、妊娠高血圧のような症状があるとわかっていればもう少し心の準備ができたのだが(自分の性格上、もしそうだったとしてもクヨクヨしそうだが)、まるで兆候がないままに、あっという間に出産してしまった。

 

 出産してから、息子氏はNICUで看護され、私は一人でベッドに寝る日々。息子氏に申し訳なくて、毎日泣いた。

 

 飛行機の距離にある実家へ里帰りしなければよかった?

 産後に子育てするためと、実家の掃除を頑張ったのがよくなかった?

 キ●ガイの実父を恐れて、体を動かし過ぎなければよかった?

 

 私の軽率な行動のせいで、取り返しのつかない事態を招いた。あろうことか、誰よりも愛している我が子に災難が降りかかった。この後悔は大きかった。

 

障害の恐怖

 早産児には、糖尿病にかかりやすいなどのリスクが正産期の子供に比べて高い、というエビデンスがある。息子氏が生まれた時は35週だったので、重要な臓器は全て出来上がっていたが、体はか細かった。

 自分が早産したせいで、息子氏に悪い影響を与え過ぎてしまったのではないか。今は無事でも後々障害が出てきたら?不安と恐怖は尽きなかった。

 

病院のケアは万全だった

 私たちが入院した病院は、市で最も大きな病院だった。その分、周産期医療に関する知識の蓄積も多かったらしく、私のような早産児を産んだ母親に対するケアは万全だった。

 例えば、授乳について。正産期分娩をした人と我々早産した人たちは、一つの授乳室を区切って、他の赤ちゃんを見えないようにしてくれていた。たまたま、私が出産した時は同時期に早産した人が多く、疎外感を感じることはなかったが、やはり他の母子が当たり前に一緒にいる姿を見るのは辛かった。

 特に感慨深かったのは、退院を前に行われた看護師との面接。主に出産に関するネガティブな感想を、看護師さんが心を込めて聞いてくれた。緊急搬送で入院した際に、メインで担当してくれた看護師さんが、誠実な様子で出産と育児に関する不安を聞いてくれる様は、それだけで大きな癒しにつながったように思う。

 また、退院して後もシナジス注射のために訪れた病院で、医療関係者が温かく迎えてくださったことも素晴らしい経験であった。このように、私は早産という災難に見舞われた母親としては、かなり恵まれた部類に入る。

 

 しかし、それでも罪悪感は拭いきれなかった。

 

谷の深さを知ってしまったこと

 少し話は変わるが、心理学者の河合隼雄は、思春期についてこんな意見を述べている。

 

(思春期とは)誰しも深い谷を渡っていく危険な時であるが

多くの人は 霧がかかっていて谷の深さに気付かないために 難なく吊り橋を渡りきることができる。

 

たまたま谷の深さを知ってしまった人にとっては 思春期を通り抜けることは非常に困難な仕事なのだ 

 

  周産期についても同じことが言える。早産、NICU入院という出来事は、 深い谷を覗き込む体験である。

 

 多くの人が難なく渡っているように見える橋。実は千尋の谷にかかっている吊り橋であり、落ちていった人も数多くいる。橋から落ちた人に何の落ち度も無いように、自分も現代医療の力でたまたま橋を渡りきったに過ぎないのだ。

 

現実を見るということ

 運の良いことに、今のところ息子氏は身体的にも精神的にも健康である。一番恐れていた、発達障害的な傾向も現時点では見られない。(これは発達障害に対する偏見ではなく、自分のせいで子供に障害を負わせてしまったのではないか、という妄想なので悪しからず) 

 夜はよく寝て、目を合わせてくれるし、ちょこちょこ単語も喋る。児童館で他の子と関わり合いもある。専門家ではないから細かいことはわからないけれど、一歳半検診でも指摘がなかったことから、まずまず育児はできている、と考えて良いのだろう。

 

 これらのことが当たり前ではなく、単に運が良かっただけに過ぎないことを私は「知ってしまった」。もう、知る前には戻れない。しかし、日頃忙しく育児をやり過ごしていると、早産という事実を忘れてしまっている自分に気づく。そう、たとえ早産していようがいなかろうが、子供は今を生きていて、成長し続けているのだ。

 

 妊娠にも出産にも育児にも、「ゼロリスク」で臨みたかった。それは叶わなかった。でも、現実に私は出産して、息子という掛け替えのない尊い存在を授かることができたのだ。これ以上の幸福があるだろうか。

 

 これからも、自分は育児に対して罪悪感を感じ続けるだろう。今だってほぼワンオペで、初めての育児で、不安を感じない日はない。疲れた心を罪悪感はさらに苛むものだ。

 だが、そもそも出産も育児も千尋の谷を綱渡りするような出来事であり、これほどの大業を前にすれば、罪悪感も不安も感じて当たり前のものなのだ。そう考えることができるようになった。

 

 早産してしまったのは運命、そういう考え方もできる。出産をやり直すことはできないが、最大限育児に邁進して(多くの人やサービスの手を借りて)、子供の最大の幸福を追求することが、運命の範囲内で人間のなすべきことであると私は思う。

 

【早産した方へ】

 後期早産児(妊娠34週以降37週未満の早産)の母親への心のケアについて、授乳の味方・ピジョンが発行している文献があります。

後期早産児を産んだ心のケア

 

 当事者の心に丁寧に寄り添った、とても励まされる内容です。もし良かったら、ご一読ください。 

リハビリ的に書く

 気がつけば一年近く放置してしまっていたこのブログ。特に事情があった訳ではなく、ちゃんと育児は続けられております。

 

 今後書いていきたいトピックとしては、

 

  • ついに迎えた!息子氏一歳の誕生日
  • 突発性発疹にかかる
  • ワンオペ1000km引っ越し体験
  • 一歳半になっても歩かない。。。→歩いた!
  • 手足口病との闘い
  • 一歳半検診について

 

 こんなところかな。おかげさまで、息子氏も一歳7ヶ月に入り、ミニ怪獣として毎日暴れまわってくれております。

 

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 画像は、一歳半検診を迎えるにあたり、指差し検査のために自前で作ったペーパー。今思い返すと、こんなものを作るほど、私は外部からの評価に怯えていたのだと悲しい気持ちになる。でも、子育てに自信のあるお母さんなんて、この世にいないでしょ?

我が家の離乳食日記 〜最初のひとくち〜

はじめての離乳食

最初は10倍粥から

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 生後5ヶ月後半になり、お座りが安定してきたタイミングで迎えたはじめての離乳食。最初の食事は日本人の心・ 米で行きたいということで10倍粥を作った。

 炊いたご飯を大さじ1杯(15cc)程度すくい、10倍量(150ml)の水で炊く。さらに、離乳食の最初期・ゴックン期の赤ちゃんは、ペースト状のものを飲み込むことしかできないので、お粥の米粒を裏ごし器ですりつぶし、クリーム状にしたものを与える必要がある。

 最初のひとくち

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 案の定、ひとくち口に入れて、全部出された。でも、一度は口に入れたからオッケー!

 

 次回、ゴックン期の離乳食編に続く。

 

我が家の離乳食日記 〜基本のき〜

 離乳食の開始

 35週の早産だった息子氏。離乳食の開始時期はお座りが安定する生後5ヶ月からが日本におけるスタンダードだが、息子氏は早産ゆえに消化機能が未熟かもしれない〜と無駄にネガティブになり、我が家では離乳食は生後5ヶ月後半になってから始めた。ちなみに、よほど健康に問題がない限り、離乳食の開始を遅らせてもアレルギー予防にはならない、というのが最近の定説らしい。そしてWHOでは離乳食は4ヶ月から開始することを推奨している。何を信じれば良いのやら。。。

rikei-ikuji.com

 

 基本の考え方 

 離乳食をあげるにあたり、以下の原則を持つことにした。

 

  1. 無理に食べさせない。ひとくちでも食べたら合格
  2. 食べる量ではなく、栄養をいかに摂れるかが重要

 

無理に食べさせない

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 ネットで育児情報を漁っていると、必ずぶつかるのが「離乳食はめんどくさい!」の意見。これはもっともな話で、離乳食の調理方法といえば加熱した食材をペースト状になるまですりつぶしたり、細かく刻んだりと普通の料理とはまた違った手法が必要になる。そして、労力がかかる割に赤ちゃんが食べてくれるとは限らない。。。赤ちゃんの食欲は赤ちゃんの裁量なので当たり前の話なのだが、自分のお豆腐メンタルを考慮すると、せっかく作った食事を食べてもらえないのはかなり凹みそうだ。

 なので、離乳食は「ひとくちでも食べてくれれば合格」と考えることにした。お皿に盛り付けた料理が、ひとさじでも減れば完璧!という考え方だ。ハードルをうんと低く設定することにしたのだ。

 

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 そもそも、離乳食は赤ちゃんのために作るもので、親の自己満足のために食べさせるものではない。しかし、離乳食の作り方自体がかなり労力がかかる時点で、どうしても見返りを求めたくなってしまうのが人情である。だが、食べさせられる赤ちゃんのにしてみれば自分の食べる食べないで親の機嫌が左右されるのは迷惑でしかないだろう。なので、こちらが求めるハードルをうんと低く設定することにした。10月現在、離乳食を始めて4ヶ月が経過しているが、このやり方はとてもストレスが少なく、離乳食を作る側としても満足している。

 

量にこだわらず、栄養を摂ることが重要

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  お世話になっている「ちょっと理系な育児」に、「離乳食ではなく補完食を」という項目があった。大づかみに言うと、「離乳食は母乳やミルクで不足する栄養素を補完するための食事である」という考え方である。母乳に足りない栄養素といえば鉄なので、補完食では鉄を多く含む食品(肉類など)を食べやすい形状に加工して与える、とのこと。逆に言えば糖質が大部分の白米のおかゆや煮つぶした野菜などはたくさんあげてもあまり意味がない。つまり、おかゆや煮野菜を多く食べさせるよりも、少量でも肉類を食べさせたほうが必要な栄養素を効果的に摂取させることができるということだ。

 

 実際に離乳食を食べさせていて思ったのが、「量を食べてくれないと不安になる」ということ。日本の離乳食本は、多くの場合食べさせる量が厳密に定義されている割に、栄養量に関する記述はあまりない。そのため、本に書いてある量を食べてくれないと親としては不安になってしまう。だが、離乳食の本質は不足している栄養素を補うことなので、量にこだわるのは意味がない。なので、ベビーフードのレバーペーストや、鳥ささみをみじん切りにしたものなどを活用している。

 

 以上が離乳食を開始するにあたってのマインドセット。次回は「離乳食はじめて物語」を書いていく。

 

育児日記 2018/09/18-2018/09/30

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 最近、日中は息子氏のお世話と家事、夜は仕事をしているので体力が全然ない。ブログに書きたい内容はたくさんあるが、日記メモも断片的にしか取れていないので、ダイジェスト版で書いていくことにする。

 

離乳食日記(7-8ヶ月、モグモグ期)

 卵

 食品アレルギーダントツ1位の卵。息子氏は父親である夫がアトピー肌で、従兄弟が卵アレルギーを発症しているため、「アレルギーの家族歴あり」のハイリスク児である。その上、早産で生まれたこともあり、消化能力が未熟かもしれないと恐れ、卵の摂取にはものすごく神経質になっていた。

 しかし、この記事を読んで「離乳食を遅らせることにアレルギー予防の意味はない。むしろ、アレルゲンへの被曝時期が遅いとアレルギーのリスクが高まる、というのが最近のトレンド」 と知る。

www.buzzfeed.com

 いったい何を信じればいいのやら。。。という感じだが、とりあえず生後7ヶ月のモグモグ期から卵の摂取を始めることにした。

 

【卵の離乳食の進め方】

  1.  固ゆで卵を作り、卵黄のみ取り出す。
  2.  卵黄をお湯で溶いて延ばし、小さじ1杯食べさせるところからスタート。
  3.  問題なく食べられるようなら、小さじ1杯ずつ食べる量を増やしていく。
  4.  卵黄1個を食べきるようになったら、固ゆで卵の卵白部分を少し混ぜて食べさせる。

 

 卵のアレルゲンは卵白部分のアルブミンであるため、最初は卵黄のみ食べさせるところから始めるようである。幸い、息子氏は上記の4ステップを難なくクリアしてくれた。これで、卵をアレルギー症状なく食べられることが明らかとなった。

 

小麦

 

らくらくまんま そうめん×4袋

らくらくまんま そうめん×4袋

 

 

 続いて、同じく食品アレルギーで有名な小麦。ベビーフードの細かく切ったそうめんを軟らかく煮て、さらに潰したものを小さじ1杯の半分程度与えた。そうめんの粒度が大きかったせいか、息子氏は少し食べにくそうにしていたものの、特にアレルギー反応が起きることもなくクリア。その後、少しずつ量を増やしてみたが、何事もなく息子氏は小麦製品を食べてくれた。

 

乳製品

 最後に、乳製品のアレルギーテスト。ママ友から「ヨーグルトはベビーダノンを喜んで食べる」と聞いたので、早速買い込んで食べさせてみる。「ベビーダノン」なんて商品がヨーグルトのコーナーにあることを初めて知った。なるほど小さなヨーグルトの上に野菜や果物のピューレが載っていて、いかにも子供に喜ばれそうな商品である。

 さて、予想通り息子氏はベビーダノンを喜んで食べてくれた。最初はスプーン1杯だけでやめにしたが、次の日からは1パック余裕で完食できるようになった。これで乳製品もアレルギーがないことを確認した。

 

 というわけで、卵・小麦・乳製品の三大食品アレルギーをクリアした! まだ、そばや甲殻類などアレルギー食品は残っているが、まずはほっとした。。。

 

託児所の利用を始める

 産後1ヶ月から在宅で仕事を続けていたが、

  • ずっと家にいる生活にうんざりしてきた
  • 事務所における自分の存在感がどんどん薄くなっていく妄想にとらわれてきた

 上記の理由から、託児所に子供を預けて、わずかな時間でも事務所へ出勤することにした。託児所は前述の児童館に併設されたところ。

 

tellurium52.hatenadiary.jp

 

広くて清潔・安全な環境と、一人の子供に必ず一人以上の保育士がついてくれる手厚い待遇に惹かれた。

 

 最初は30分の託児からスタートし、徐々に時間を伸ばして、息子氏を環境に慣らすことを第一に考えた。そして迎えた出社の日。息子氏は預けられた瞬間、ギャン泣きしたものの、すぐに切り替えておもちゃで遊び出したという。どれだけ短い時間でも、保育の詳細な記録をもらえるので、大変に嬉しい。プロの保育士さんに見守られて、楽しく過ごせているようだ。

 

 さて、久々の出社であるが、「とにかく楽しい」の一言に尽きる。やはり、外に出て働かないと自分はダメになる性質のようだ。目下の悩みは、託児は最大で3時間しかできないことと、行き帰りの電車で息子氏がむずかること。なんとかしないとな。